伊予松山の象徴である松山城の見どころをまとめました。27年ぶりに訪れてみて、あらためてその凄さがよくわかりました。
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松山城は松山の象徴、どこからでも見える
松山城は道後温泉と並んで松山を観光で訪れる際の目玉スポットです。四国最大の城郭で建物全体がよく残されており、松山市内の中心部にある標高132mの勝山山頂に築かれたこともあってどこからでもその美しい姿を望むことができます。
松山城は松山の象徴であり、こういった景色を見ると「松山に来た」ということが実感されます。
松山城とは
松山城は関ヶ原の戦いで武功のあった加藤嘉明が1602年に築城を始めたもので、四半世紀をかけて二代目藩主の蒲生忠知の時代に一旦完成しました。当初5層6階であった大天守は1642年に3層3階地下1階に造り直されますが、1784年の落雷で主要な建物が全焼してしまいます。
1820年にようやく始まった再建工事が完了したのはほぼ幕末の1854年で、「現存12天守」と呼ばれる中で松山城は最も新しい城郭になります。江戸幕府の武家諸法度では天守の新築はもとより増改築も厳しく取り締まられており、焼失した松山城の再建が認められたのは奇跡に近かったようです。
その後に失火や放火により一部の建物が焼失しますが、主要構造物については後に復元されました。
現在では焼失を免れた天守など21棟の建造物が国の重要文化財に指定され、後に復元された30棟の内の16棟が登録有形文化財となっています。
アクセス
松山城の城山には8合目までロープウエイとリフトが設けられています。
徒歩でも登れる山ですが、初めての場合はこちらを利用するのが便利だと思います。
松山の見どころ
松山城の凄いところ
本丸がほぼそのまま残っている
「現存12天守」といっても残っているのは天守だけという事例が大半なのではないかと思います。
しかし松山城は中核である本丸がほぼ江戸時代の姿をそのまま残しています。放火で焼失して昭和になって復元した個所もあるとはいえ、建物群の保存状態の良さは特筆ものでしょう。
公式HPでも「日本で最後の完全な城郭建築(桃山文化様式)として、層塔型天守の完成した構造形式を示しているといわれています。」と高らかに謳い上げるほどです。
ちなみに放火の犯人は後に逮捕されて死刑になりました。
眺望がすばらしい
「市内のどこからでも松山城を見ることができる」というのは「松山城からは市内のどこでも見渡せる」ということになります。
城の東方向で、右端に道後の温泉街があります。
西日本最高峰の石鎚山も見えました。
矢印の部分が山頂だと思います。
四国八十八箇所霊場第51番札所「石手寺」の弘法大師像(高さ16m)も写っていました。
瀬戸内海の伊予灘まで見渡せました。
圧倒的迫力の石垣
松山城を特徴づけているものの一つが石垣でしょう。
本丸を囲む石垣は高さ10メートルを超えており、美しい曲線を描いて上部になるほど傾斜が急になっていました。
石垣の隅の部分は細長い石の長辺と短辺を交互に積み上げる「算木積」となっています。
場所によって建築された時期が違うため、石の加工や積み上げ方が場所によって違っています。
香川の丸亀城なども石垣に特徴のある城でしたが、松山城は規模が大きいためその迫力は圧倒的でした。
鉄壁の守りを誇る構造
松山城は天守の周囲を小天守や櫓(やぐら)で囲い、それぞれを渡櫓(わたりやぐら)で連結した「連立式天守」と呼ばれる構造となっています。
要所要所に門があり、その周囲にはそれを防衛するための構造物もあります。
むき出しになっている敵を安全な場所から迎え撃つことが可能で、姫路城と同じ鉄壁の守りを誇ります。
櫓や渡櫓で囲われた中庭があるのも特徴です。
居住性も考慮された内部
城は戦争の時にこそ真価を発揮する要塞ですから、内部は武骨な造りになっているのが通常です。
しかし松山城の天守は天井板が張られている上に畳が敷ける構造となっています。また襖を入れるための敷居まであります。
飛行機に乗るだけの価値がある
私のように御朱印やうどんといったマニアックな趣味を持たない方の場合、松山で面白いものといえば道後温泉と松山城しかないかもしれません。しかしその両者とも超一級の価値があり、それだけのために飛行機に乗る価値があると断言できます。
是非一度松山を訪れてみてはいかがでしょうか。