真冬の戸隠神社をご紹介します。どうしても冬季の姿を見てみたくなり、今回改めて宝光社から奥社までお参りし直してきました。冬でも社務所が無人になるだけでお参りは可能で、長靴が絶大な効果を発揮しました。
- 雪景色と神社の取り合わせは美しいと思っていた
- 最大の問題点は靴だった
- いきなり期待以上の光景だった宝光社
- 「ゆく年くる年」そのものの光景だった火之御子社
- 冬季は奥社と九頭龍社の御分霊も祭られる中社
- 石段が雪で埋まっていた奥社への参道
- 雪の重みに耐えなければならない奥社と九頭龍社
- 下りは本当に怖かった
- 苦労しただけにありがたみと達成感があった。
雪景色と神社の取り合わせは美しいと思っていた
大晦日恒例の「紅白歌合戦」が終わると次は「ゆく年くる年」となり、華やかなNHKホールから除夜の鐘が鳴り響く寺院へと画面が一瞬で切り替わります。年越しという重要なタイミングで静寂と荘厳な雰囲気を演出するためなのか、ここで登場するのはいつも雪深い北国の寺院だったように思いますが、このシーンはいつも「いいなぁ」と思って見ていました。
寺院や神社のような古い木造建築物と雪景色の取り合わせは実に美しいものがありますが、10㎝雪が積もれば都市機能が麻痺してしまうような東京でこういうシーンはまず望めません。雪国には雪国ならではの苦労もあるでしょうが、こういうシーンに出くわすとただただ羨ましくなります。
ちょうど冬の青春18きっぷが残り2回分となっており、これを利用してどこか雪国に行きたいと思っていたのですが、そこで思い出したのが戸隠神社です。戸隠山の山麓に点在する風格ある社殿や杉並木が、雪景色と重なるとどうなるか是非見てみたいと思いました。
最大の問題点は靴だった
豪雪地帯である長野県北部に位置する戸隠神社は、冬季には中社以外の社務所が閉鎖され、このあたりを通るバスは全て途中の戸隠スキー場行きとなって奥社までは行かなくなります。当初は「雪景色が見れるなら中社だけでもいいや」と思っていましたが、やはり行けるものなら奥社まで行ってみたいものです。
スキー場を眼下に見下ろすような標高にある奥社まで行くことを考えた時、一番問題だったのが靴です。
登山靴もスノトレも持っていなかった私は実家の物置から引っ張り出してきた長靴を使用することにしました。
結果としてこの靴底のギザギザが絶大な効果を発揮したのです。
その他に雨合羽や股引、スキー用の帽子等、やはりいつもの旅とは荷物の内容が違ってきます。
いきなり期待以上の光景だった宝光社
戸隠方面へのバスは長野駅前から1時間に1本の頻度で出ており、神社には約1時間で到着します。私は8時半発に乗りましたが、バス2台で対応するほどスキー客で混雑していました。場合によっては座りそこなうという事態もあり得たわけであり、早めに行って並んでいたのは正解でした。
戸隠神社の玄関口にあたるのが宝光社ですが、いきなり期待していた以上の光景を目の当たりにすることになりました。
一番標高の低い場所にある宝光社がここまで雪で埋まっているとは想像していた以上です。
雪が深すぎて踏み固められた場所以外はとても歩けません。
まさにこういう光景が見たくて戸隠まで来たのです。
宝光社名物の270余段の石段は完全に雪の下に埋まっていましたが、長靴はしっかりと雪面をグリップしてくれました。
雪を被った社殿は神々しさが5割増しになったように思います。
「ゆく年くる年」そのものの光景だった火之御子社
戸隠神社ではそれぞれの社が神道(かんみち)と呼ばれる古道で結ばれています。前回来た時は様々な手違いで車道を歩き続けることになってしまったため、今回こそは次の火之御子社まで神道で行こうと勢い込んで向かったのですが、大変なことになってしまいました。
しっかりと除雪されている車道と違い、神道は手つかずの状態で自然の姿が残されています。相当な厚さで雪が積もっているため人が歩いた跡をたどるしかありません。しかしそれでも一歩進む度に足が雪にめり込み、普通の道を歩くよりも何倍も体力と時間を消耗してしまいます。宝光社でこの様な状況ですから、奥社では一体どうなっているか心配になりました。
かつてはここから奥社を望み、伏して拝む場所だったという「伏拝所」ですが、この時は解説を読む余裕もありませんでした。
足がいっぱいいっぱいになりかかった頃、ようやく火之御子社へ降りていく道にたどり着くことが出来ました。
こうしてたどり着いた火之御子社はまさに「ゆく年くる年」そのものの光景でした。
冬季は奥社と九頭龍社の御分霊も祭られる中社
神道にこだわっていては奥社までたどり着けそうにないため、火之御子社から中社へは車道を歩くことにします。
先ほどまでの悪戦苦闘がまるで嘘だったように歩きやすくなりました。
中社にたどり着いたのが10時半でしたが、この頃から雪がちらつき始めました。雨合羽を着るほどではありませんが、周囲の雰囲気が一層神秘的になってきたように感じます。
伊勢神宮の堀川と火除け橋のように見えた場所が完全に雪で埋まっていました。
急な石段は通行止めとなり、なだらかな女坂を利用して社殿に向かいます。
さざれ滝も半分凍っていました。
戸隠神社では中社だけは冬季でも社務所が開いています。奥社・九頭龍社の「御分霊」も祀られているため、こちらをお参りすれば奥社・九頭龍社へお参りしたのと同じご利益を受けられるそうです。
石段が雪で埋まっていた奥社への参道
中社でお参りと食事を済ませていよいよ奥社に向かうことにします。
神道には未練があったので様子を見に行きましたが、もはや人が歩いた跡すらありません。
おとなしく最初から車道を歩くことにします。
標高が上がるにつれて雪の量がすごくなり、奥社入口の前回利用したそば屋が完全に雪で埋まっていました。
大鳥居
11時50分ごろに奥社まで続く2kmの参道の入口にある大鳥居に立ちました。
分厚い積雪に覆われた参道
参道は分厚い積雪に覆われていましたが、宝光社や火之御子社より参詣客が多く、大勢の人の足でしっかりと踏み固められているため比較的楽に歩けました。(クロスカントリースキーで滑っている人までいた。)
隋神門
参道のちょうど中間点にある隋神門ですが、雪景色の中で赤い色が一層映えます。
杉並木
隋神門をくぐると周囲の様子は一変し、絵葉書にしたくなるような光景が広がります。あちこちから「うわぁーっ」という声が聞こえてきました。
CMに登場した杉の祠
JR東日本のCMで吉永小百合が中に入った杉の祠も半分雪に埋まっています。
石段
本来ならこのあたりから上りの石段が始まっているはずなのですが、雪に埋まってただの坂道になっています。
飯縄社
前回は目線の高さに祠があったはずなのですが、積雪で高くなった分だけ見下ろすようになっています。
飯縄社を過ぎたこの辺りから石段の傾斜が急になっていくのですが、もはや雪深い急斜面でしかありません。長靴が雪面をしっかりとグリップしてくれて助かりました。
八水神
こちらにあった小さな滝は完全に凍結しています。
手水舎
屋根の上の雪の厚みが半端ないことになっています。
社務所
悪戦苦闘しながらもどうにか社務所が見えるところまでやってきました。
雪の重みに耐えなければならない奥社と九頭龍社
奥社と九頭龍社は大変に雪深い場所に位置しています。そのため九頭龍社では木造の社殿が雪の重みで倒壊しないよう驚きの対策がとられていました。
正面にある引き戸を開けて中に入り、お参りができるようになっています。
奥社への最後の階段を上ります。
戸隠神社の5つの社殿の中で、奥社だけが木造ではありません。屏風型の切り立った崖の下に位置する奥社には他の社にはない自然災害の脅威があり、これまで何度となく雪崩による倒壊を繰り返してきました。そのため昭和53年の雪崩で流失した社殿を再建する際、岩盤に鉄筋コンクリート造の社殿を据付けその中に神殿を納める方式を取らざるを得ませんでした。
宝光社から雪道を歩き続けてようやくたどり着いた奥社は分厚い雪に覆われ、思っていた通りの姿でした。
これまで雪山といえばスキー場しか知りませんでしたが、奥社から見た戸隠山の眺めは迫力が全く違いました。
下りは本当に怖かった
登ってきた山は下りなければなりませんが、こちらは登り以上に注意が必要でした。
奥社直下の石段が雪まつりの滑り台のようになっています。写真を撮りながら進むのは危険と思われたため、ここでカメラはしまいました。それでもこんな斜面を滑らずに降りることが出来たのですから、長靴の靴底のギザギザの威力は絶大です。
石段ではなく雪深い急斜面となっているため、下りはどうしても勢いがついてしまいます。そのため一歩一歩踏ん張ってしっかりとスピードのコントロールをしなければなりません。
前方に隋神門が見えてきた時は本当に安堵したものです。
この後再び車道を歩き、中社近くの蕎麦屋に入ったのが13時半、そして中社発14時半のバスで長野駅に向かいました。
苦労しただけにありがたみと達成感があった。
戸隠神社の奥社はたどり着くのに苦労した分だけ全然違うありがたみを感じるものですが、雪のため難易度が増す冬季はそのありがたさもひとしおでした。
奥社で周囲の光景を見渡した時に感じた何とも言えない達成感は、この先忘れることは無いでしょう。
真冬にも関わらず奥社の駐車場はほぼ満車状態で、多くの人が雪深い急斜面を昇っていく様子に最初は驚きましたが、冬の戸隠神社にはそれだけ人を惹き付けるだけの魅力があったと思います。